道みちに、セミの亡骸がころころ。
夏が終わった、ねえ。
今年も夏を盛り上げてくれてありがとう、
と思いつつ、避けながら歩く。笑
わたしには、セミの鳴き声はきこえないけど、
きみたちやっぱり夏の立役者なんだねえ。
セミの話をもうちょっとすると(笑)、
亡骸をあちこちで見かけるけれど、
割に、というか、ほとんどは
仰向けで転がってるのがまたおもしろい。
なんか『終わりました~』感が満載じゃない?
つられてこちらも、
『さようなら~』『お疲れさま~』
そんな気分にさせられる。
何気ない道みちのセミの、
そんなことにじわじわきている、最近のわたしでした。
ここのところ、
いろいろ面白いひらめきはあるんだけど、
ぜんぶ生活上動いているときにおりてくるので、
こうやって、一息ついて書いてるときには
内容をきれいさっぱり忘れているという。笑
今日はそのなかで覚えていることを、
ひとつふたつ(いくつだ)、
自分のメモがてらに。
わたしは、いわゆる高速列車に乗って通勤している。
電車のなかでは、
本読んだり、
仕事したり、
でものんびりぼんやりが最近はいちばん多い。
このまえ、仕事終わりに列車に乗り、
座ってほっと一息。
さてなにしよっかなー
と、暗くなりゆく夕どきの窓の外に目をやる。
そしてこんなことに思い至る。
これは高速に前にすすむ列車。
だから、たとえぱ
自分が
前にすすむための勉強だったり
自分が
なにかをすすめるための仕事だったり
自分が次に取り組みたいことと
そのコミュニケーションだったり
そんな作業をすると、
すでに自分の身体が
実際に高速で「すすんでいる」から
進みも劇的にはやいんじゃないかなあ。
だったら、折角のこの時間、
もっとなにか前向きなことに使わない手はないよなあ。
なんてことをふと。
おまけにもうひとつ。
これはたしか、とある日の朝に得た気づき。
高速列車のなかで、
いわゆる”回顧”に浸っていると
身体がぐんぐん後ろに引っ張られる感覚がある、
という発見。
どういうことかというと
たとえば
『そういえばあのとき、こう言えばもっとよかったかも』
『あの場面で、なんであの人はあれをしたのかな』
『そうかそのやりかたもあったなー』
などなど、
起こったことに対して省みるとき
意識は後ろ(過去)を向いている。
向いている結果、
前へ前へと進む力に満ちている
高速列車のなかでそのようなことを思っていると、
身体がどんどん椅子に沈み込む。(気がする)
過去って、いわばもう過ぎ去ったことなのに
そこを考えはじめてしまうと、
前に進み続けている列車の動きに対して、
意識とからだが追いついていけないんだなあと。
まあちょっと、独特の感覚かもしれないけど。
でも、わたしが高速列車で「体感」させられたこれって、
よくよく考えてみると
普段の生活でも当たり前に起こっていることでもある。
前へ進んでいいのに、
昔のことを引きずるとか。
一歩踏み出せばいいのに、
なにかにこだわって進めないとか。
前を向けばいいのに、
下ばかりうつむいているとか。
とか。(略した)
前向き、後ろ向き。
よく前向きはポジティブ、
後ろ向きはネガティブと
それぞれ捉えられているけど
わたしはもうちょっと単純に、
前向きは未来(可能性)を、
後ろ向きは過去(制約)を、
意味しているのだと解釈している。
どちらもあってよくて、
でも後ろばかり向いているのは不自然で、
人間は目が前についているから
ちょっと前を向いて歩を進めているほうが自然なのかなって。
たかが高速列車での時間、
されど高速列車での時間。
おもしろいことに気づかせてもらったな!
いつもありがとうしんかんせん。