見えないのに、見えてきたもの

little girl standing on white background and pretending that hol


雨。雨。つめたい雨。

雨はとりたてて好きでもないし、さしてきらいでもないのだけれど、

以前よりは好きになったかもしれないなあとぼんやり思う。

 

1つのきっかけは、

8月の霧雨が降る朝、窓ぎわに立って、ぼんやり遠くを望んでいたときのこと。

いつものように空を仰いでみても、白一色。

 

空の雲を眺めるのが好きなわたし。「つまらないな〜」と視線を下に落とす。

空の視界が悪いので、自然と、霧と街の境目あたりに視線がいく。

霧がつくりだすなんちゃって地平線のあたりに、不可抗力的に、ぼんやりと目をやってみる。

 

・・・あれ、

「ここから新幹線が走っているのがよく見えるんだな」

「あんなところに、看板あったっけ」

「百日紅の花木、あそこの公園にも咲いてるんだ」

 

見えないわりに、見えてくる。

見えないなりに、見えている。

 

よく見えるに越したことはないかもしれないけれど、当たり前に見えているときには気づかない、違う景色が広がってくる。制約されることで現れる境界線は、ときに新しい世界に気づくヒントを授けてくれる。

 

きこえないわりに、聴こえてくる。

きこえないなりに、聞こえている。

 

「ない」と「ある」はいつだって表裏一体。

きこえないからこそ気づける、些細な表情と心情がある。

ないと決めているのは自分だけ。あると決められるのも自分だけ。

 

そして、この「決める」力を引き出すのは ”Love my sense,” 自分の感覚を自分のものとして信じられる肯定感なのかも。

自己決定力やその先にある行動力は、自己肯定感に裏打ちされるのでは。

 

昨今、よくポジティブ心理学とかレジリエンスとかアドラー心理学とか取り上げられるようになって久しいけれど、その根底に流れている共通のビジョンは、「自分を好きになる(受けとめる/認める)」ことに尽きるんだろうなと個人的には思っている。

 

何かが足りない自分、
がんばれない自分、
なんだかんだ経験から学んでいる自分、
どこかちょっと無理している自分・・・

それぞれの人の中に
いろんな自分がいると思うけれど、

全部ひっくるめて
「よくやってるね!(肩ぽん)」と
自分で自分を褒めてあげられればいい。

それがきっと、自分を好きになる第一歩。まる。

 

今日のひとこと:

ホームページつくったばかりで、相変わらずわからないことだらけ。
今日は「サイトアイコン」とやらを設定してみた。パンの画像。美味しそう。笑
「タグ」ってなんだろう〜。

この記事を書いた人

ソニー人事(研修・人材開発)を約15年
→ オーストラリアへ語学留学・ヨガ
→2020年11月 フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動開始。会社員と個人のおしごとの複業ライフを実践している。2022年はようやくインスタを開始してみたり英会話を楽しんだりする日々です。