連休の谷間、今日は在宅勤務。
本棚が運び出されて、すっきりした部屋で仕事。
せっせっせ。(効果音)
雨模様の空は、きらいじゃない。
もくもく流れる雲を、ぼんやり眺めたり。
ゆるゆる散りゆく雲を、静かに見守ったり。
ぐんぐん迫る雲を、わくわく迎えたり。
雨模様の道は、きらいじゃない。
雨のしずくを、一身に受けとめる草花とか。
雨の打つリズムを、リズミカルに伝える木々の葉とか。
雨のにおいを、ふわっと際立たせる地面とか。
雨模様の窓は、きらいじゃない。
濡れたアスファルトに映る、ヘッドライトのゆらゆらした光。
新幹線の車窓に行儀よく整列して、時に斜めに時に真横に走るしずく。
まるで涙のように、いっぱいたまるとガラス面伝いにつつーっと落ちるもうひとつの雨。
外は雨、中にはわたし、へだつ窓。
個人的には
雨って、
「絶え間ない」
「繰り返す」
「循環する」
といったイメージがあるのだけど
その関係か
「何度も、何度でも」
というフレーズが連想される。
きこえないわたしは、歌をきくとき、
歌詞よりも先に、
そのメロディーの響きや全体的な雰囲気、
またはダンス振付や映像といった視覚情報に
インスパイアされる。
こちらのRADWIMPSさん「ラストバージン」は
ミュージックビデオが面白くて、
なんだか心にはまった作品。
数年前、
見かけた映像が印象的で、興味をもって、
歌詞を調べて覚えたんだったかなー。
このMVの世界観と、
途中登場する「何度も、何度でも」のフレーズの親和性も味わい深くて、
こんな秋の雨の日は、なんとなく思い出す一曲。
何度も、何度でも、同じことで悩んでもいい。
何度も、何度でも、同じことで泣いたっていい。
何度も、何度でも、同じことで苦しくたっていい。
わたしたちは、すぐに変わることのできない存在だから。
変わることができないのは、
イコール、代わることができない、
かけがえのない本質を持つゆえんとも思う。
ひとは、一貫性のある存在だから。
昨今、成長とは変化し続けること、
と取りざたされる傾向があるように感じるけれど、
ムダなものをそぎおとし、その人の本質に立ち戻ること、
それも成長なんだよなと。
何度も、何度でも。
同じことで悩むこと、苦しむことを
自分に許してはじめて、
また新しい自分への一歩を踏み出せる気がする。うん。