三輪山はやっぱり大きかった。

ぎゃー、1ヶ月ぶりの更新。

 

こんにちは。(まず挨拶から)

 

気づけば、年の瀬はもう目の前に迫っていて

11月もまもなく終わろうとしていますね。

はやい。

 

かと言って、

毎日がうすーいわけではなく、

一日いちにち、何かしら気づきや変化を感じている

濃ゆい日々でもあったり。

 

この11月、印象に残っていることを挙げるなら

・三輪山にのぼった

・今年も、大学で授業をした

・「君の名は。」を観た

あたりかな。

 

今日は三輪山のはなしを。

 

三輪山は、奈良にある大神(おおみわ)神社の御神体とされる山。

通常の神社は、

鳥居があってそこからご神域となり

参道を通って

途中お手水所で口と手を浄め

拝殿にお参り

といった流れが一般的だけども。

 

三輪山参拝は、

まずふもとにある摂社「狭井神社」で受付を。

受付をすると、

登拝者の証明として襷が渡される。

首から下げて、のぼってくださいとのこと。

 

あと

登拝中のルール説明を受ける。

 

水以外の飲食禁止。

撮影も一切禁止。

ほう。

 

午後4時までには下山報告が必要らしい。

ほほう。

 

登山口となるふもとの鳥居の横には、

体をみそぐための玉串(白い紙がふさふさ付いた棒)があって、手に持ち左右に振って浄めを。

あと、竹の棒もそなえてあって、「道中のサポートにどうぞ」的なメッセージが。

ほほほほう。

 

 

そして山道はけっこうな勾配。

トレッキングシューズで正解。

修験僧の真似なのか、裸足でのぼっているひと何人か見かけたけどすごいわ。

案外きもちいいのかな~。

 

せっせとのぼる。

途中からは

ぜーはーのぼる。

 

なんていうか、

前に歩みを進めるために、

ムダなものは全部削ぎ落とすぐらいの心境で。

 

大きな存在(山)を前に

自分が思った以上に重くて大きいことと、

自分が思った以上に軽くて小さいことを、

交互に感じながら。

 

小さくたっていい、ありのままでいい。

いのちあるだけで、無条件にわたしは大きい。

そんなことを感じ、

また感じさせて頂きながら。

 

そして、三輪山のてっぺん。

登れたことの感謝を込め、手を合わせる。

 

いつも神社を訪れて感じるのは、

参拝して手を合わせるときの

自分の手のひらのぬくもりと、

合わせた瞬間左の手のひらと右の手のひらを通ってめぐる優しいいのちの流れと、

目をつむったわたし(たち)を取り巻く澄みわたる風のなんともいえない心地よさと。

 

うやうやしさと、ういういしさのコラボ。

日常生活ではなかなか味わえないきもち。

 

もしかしたら、

これを感じて、また歩むために、

わたしは神社に足を運ぶのかもしれないなって。

 

そしてそれは

今回の三輪山でも同じように感じたけど、

のぼったあとだからか、その感覚もひとしおで。

 

なんていうか、

また生きていく覚悟を頂きました。(合掌)

 

2時間ジャストの三輪山滞在だったけど、

なんだか

今このタイミングでのぼれてよかったなあと。

 

そんなすがすがしい気持ちを、

今日のブログの写真に込めてみたけど

伝わるでしょうかうししし。

 

そういえば、

三輪山登拝(下山)あとに友人といただいた

ハンバーガーのとてつもなく美味しかったこと!!

奈良行ったら、またここも寄りたいなあ~。

英気を養えた弾丸旅行でした、感謝。

 

 

 

 

この記事を書いた人

ソニー人事(研修・人材開発)を約15年
→ オーストラリアへ語学留学・ヨガ
→2020年11月 フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動開始。会社員と個人のおしごとの複業ライフを実践している。2022年はようやくインスタを開始してみたり英会話を楽しんだりする日々です。