oshiruko

ここ数年は

お雑煮お代わり人間だったけど、

今年は

お汁粉が美味しくてぱくぱく。

 

さて、

昨日はモノポリーで破産したため

ふてくされていたわたしですが、

今日はウノが絶好調のため

ごきげんなわたくしめであります。

 

初詣効果かしら?

どうも、ウノの神様がおりてきているようだ。笑

 

2017年、どんな年にしよう。

歩きたい道。

進みたい道。

拓きたい道。

 

数年前までのわたしは、

それらの道は

仕事を変えるとか、
あるいは、また新たな勉強を始めるとか

そんなアクションを機に

新たな進路を目の前に一本、また一本と
増やしていくイメージを持っていたけれど。

 

新たな道を見つけるのでは、なかった。

 

わたしたちはもう

とっくにそこに立っていて、

目の前にそれはまっすぐまっすぐ延びていて、

 

ただその自分の道をどのように「歩みたい」か、

それだけでいいのだと。

 

仕事の道とか、

学校の道とか、

資格の道とか、

家庭の道とか。

昔は、

これらのさまざまな「道」を並行して歩み、

それらを総合して人生を形づくるような感覚だったのだけど。

 

今は、

「道」そのものはオリジナルの一本道でよくて、

その道を、日々、自分らしく歩むことが、

道、つまり、人生を創ることであるんだなって。

 

ということは、

何かを選択することは、

道を決めることではなく

どのように歩くか。進むか。を決めること。

 

たとえば

今のわたしが大学に行くことを選択したら、

それは

研究者の道を選ぶことではなく、

人材育成の仕事をしながら、何か研究テーマを深掘りするという道を新たにつくること。

 

たとえば

今のわたしがまたダンスを再開したなら、

ダンスを趣味にする新たなひとつの道ができるのではなく、

あるひとつの道を歩んでいるわたしがもっと軽やかにステップを踏めるようになり

はたまた

ダンスをしていることでまた違う人とのご縁ができて、道に拡がりがでるかもしれない。

そういうことなんだね。

 

なぜかは分からないのだけど、

わたしは、いつの間にか、

「道」とはいくつもあるもの

「道」とは選ばないといけないもの

「道」とはそのときそのとき決めて行くもの

というイメージが出来上がっていた。

 

もちろんそういう見方をしていてもよいし

10代や、20代前半の頃は

たくさんの道を歩いてみることが

あとあと可能性を広げることになるかもしれないけれど、

 

今のわたし(30代たけなわ)は、

自分をその見方や歩み方から解放し

卒業するときがきたみたいだなって。

 

目指すビジョンに向けて、

意思を込めて、一歩を踏み出す。

感謝を込めて、歩みを進める。

わたしの道を、わたしらしく歩く。

 

大切なことは、

どんな道を歩みたいかではなく、

どんなわたしがこの道を歩むか。

 

「道」も、「わたし」も、わたしが決められる。

既成のものはない。

 

自由なわたし! 自由な道!!

 

ちょうど1年前の今頃、

Road to 2017 と表現したこの道。

ひとつの節目を迎え、

さあどんな顔して歩こうかな。(にこにこ)

この記事を書いた人

ソニー人事(研修・人材開発)を約15年
→ オーストラリアへ語学留学・ヨガ
→2020年11月 フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動開始。会社員と個人のおしごとの複業ライフを実践している。2022年はようやくインスタを開始してみたり英会話を楽しんだりする日々です。