tiger

前向きでもなく、

後ろ向きでもなく、

ただ

○○向きに。

 

↑  今、なんとなく大切にしていること。

 

5年前ぐらいまでのわたしは

どことなく「前向き」のかたまりだった。

何があったっておっぱっぴー(©某よしおさん)ぐらいの、底抜け能天気な。

 

もちろんそれなりに悩むこともあったけど、

ケセラセラで

どこかそんな弱気な自分を笑い飛ばしていた。

 

そして、時は過ぎ。

自分的「青の時代」に突入。

ブルーゾーンとも呼びたいきもち。

 

例えるなら、

ハワイの常夏のあっけらかんとした海ではなく

すこし冷えも深さも残す伊豆の海、

そこに漂っているような日々。

 

うーん、だいたい5年ぐらいも漂っただろうか。

全部がぜんぶ、ネガティブな期間というわけではないけど、

それでも自分がこの5年、どちらかというと「後ろ向き」だったという自覚はある。

 

つくづく生きるって面白いなあと思うのは、

この青の時代、

しかもけっこう濃い青の時代(笑)、

それは、もっと大きな前を見つめるために、

必然で起こったんだということ。

 

もしも今まで通りの安穏とした生活のままで

自分的にヨシとするなら、

この「後ろ向き」期間は訪れなかったなと。

長いながい時間を経て、今、そう思うのです。

 

仕事を離れて、修学(研究)のために休みに入ったことを

当時のわたしはのんきに構えていたけど、

やっぱりあれは結構なチャレンジだったなあと今頃気づく。笑

思えば、あそこがひとつの転機になった。

 

仕事を離れて、社会にぽつんとひとり、何者でもないわたしになった瞬間、

わたしが生きるテーマ、

わたしが生きる動力、

わたしが生きるそのいのち、

無自覚だったこれらのことを突き付けられた。

 

安穏と生きることももちろん幸せだけど、

あれ?わたし、何がしたかったんだ?

そんな疑問が、噴出した。

そもそもわたし、なんのために生きてるんだ?

愛犬の死も経験し、

哀しさのなかに、疑問が交錯する。

 

あれから5年。

今はまたもとの職場に復職して、

(ありがたいことに戻らせて頂いて!)

休む前とは違う、仕事の経験もできた。

 

大きな疑問を前に、立ち止まってしまった日々。

なんとか卒業して、以前のように仕事に奔走する日々。

でも、

というか、

だから、

以前よりも、

もっと「前」を意識するようになった。

夢や目標とか、

自分らしさそのものへの意識というよりは、

自分が自分らしく歩む上で大切にしたいことはなんだっけ、というそんな問いかけを。

 

自問するなか、

まず気がついたのは、

自分のなかの色んなもの。

「ポジティブ」「前向き」であることをヨシとしてきて、地でいってる部分と、ほんの少し無理をしてきた部分と。

ほんの少しの無理も、30ウン年経てば、けっこうな量になる。

 

あーわたし、これがイヤだったんだな。(でもイヤとは言えず頑張った)

あーわたし、この時本当は泣きたかったな。(でも涙をのんだ)

あーわたし、相当怒りがたまっていたな。(でも笑顔でいいよいいよと言ってきた)

 

そんなきもちを、

ひとつひとつ、

紐解いてきた青の時代。

 

それらは、一見静かだけれど、

同時に目まぐるしい感情が走っていて。

葛藤と苦悩と、切なさやるせなさと。

でも同時に、

ひとつひとつ、「そうだったね」と気づき認めることによって、

自分自身の人生へ

あらためて愛やいとおしさを感じる時間にもなった。

 

過去の自分のなかの薄暗い部分を味わった分、

つまり後ろを向いた分、

前を向くことの眩しさや喜びを

心から実感できたなって。

 

後ろ向きをとことん味わい尽くすと、

また、向き直りたくなるんです。

いやあーいいねえ人間って。(まとめすぎ)

 

で、ようやく

冒頭のことばにつながるわけですが。

 

前向きでもなく、

後ろ向きでもなく、

ただ

ひた向きに。

 

それだけで、十分、

わたしたちは生きている。

もう前を向いている。

だから、むりに前向きにならなくていい。

時々、後ろを向くのもそれはそれで必要な時間。

どこを向いていても、大丈夫。

ただ、今を、ひた向きに。

 

この人生に、いのちに、ありがとうございます。

 

この記事を書いた人

ソニー人事(研修・人材開発)を約15年
→ オーストラリアへ語学留学・ヨガ
→2020年11月 フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動開始。会社員と個人のおしごとの複業ライフを実践している。2022年はようやくインスタを開始してみたり英会話を楽しんだりする日々です。