堪忍袋の、緒が、切れる。
プツーン(効果音)
この3月に入って、
ある人に対して見限りをつけた。
以前から、なんとなく、
変わった人だなー
あまり関わりたくないなー
と思いつつも、
接点を持たざるを得なかったひと。
接点がある以上は、
相手は変えられないから、
自分の関わりかたを工夫したり、
自身のひととしての素行を見直すきっかけにしたり、
あの手この手で工夫もした。
でも、この3月。
とある場面で、
その方の意地悪く
一言でいえばなんともむかつく対応を
目にしてしまい、
「あーーー、もうだめだ。」
と、思った。
ここにきて、
わたしはようやく、
数年来の
「この人が、大きらいだ」
という事実を認めたのです。
苦手というかきらいというか、
うんぬんかんぬん、
のらりくらりはぐらかしてきた本当のきもち。
うん、大きらいだ!!(大声)
・・・と思ったら、
次の瞬間、
うん、そうだそうだ!!
という、
合いの手が全力で入ってきた。笑
さらに、同時に、
見ないようにみないようにしてきた
自分の怒りのきもちが、
堪忍袋になって
どーんと目の前に置かれた。(気がした)
不思議なもので、
見ないようにみないようにとふたをするほど、
その気持ちは、
クローズアップされて
苦しくなる。
でも、
そうだよね、と正直に認めると、
一瞬、肯定されたただけでも
ふっと力が抜けるというか。
そうして、目の前に置かれた堪忍袋。
どんな柄してるの?
どんな紐で結ばれてるの?
このタオルの柄、堪忍袋っぽいな!
なーんて、どうでもいい妄想が今は楽しい。
思っていた以上に、可愛かった堪忍袋。
これ、
「こころ」の見える化のひとつとして
案外使えるアプローチかもしれないなー。
いらいら、もやもや、ぐつぐつ、むかむか、きりきり、心のなかに生まれるネガティブなエネルギー。
蓋はしなくていい、
どんどん自分の堪忍袋に放り込もう。
そして、
緒が切れる前に、ふわっと空にでも解き放てばいい。