今住んでいる街には
わりとお花やさんが多く、
遅い時間になってもやってる
店舗もあってうれしい。
でも
面白いもので、
同じ「お花やさん」なんだけど
並んでいる花がどれもイキイキしているとこ
数はあってもなんだか閑散としているとこ
あまり売れてはいないのだけど
その分自由奔放に育てられてるのか
むしろ植木たちは元気でワイルドなとこ
花も植木も
お店それぞれの表情をしていますよね。
おもしろいふふふ。(怪しい)
よく考えれば
にんげんがお店を商っているけれど、
花やさんの主役(顔)は
花たち植木たちだもんね。
そりゃあ、表情も違うはずだわ。
ここ最近は
バラがなぜかお気に入りだったけど、
今日はあらたに
マムというぽんぽん菊を。
丸くて黄色くて美味しそうである!
さっき、
花を花瓶にいけながら、
花の美しさが際立つのは
物が最小限の空間だよなあと感じ。
うーむ、もうちょい片付けせねば。
そんなこんなで
11月に入ってから、
連休ついでに
有休もいただいて
息抜きしながら
幸せな時間を過ごしています。
で、息を抜いたら、気づいたこと。
向かいたい未来があるとき、
会いたい誰かがいるとき、
叶えたい願いを持っているとき。
必ず実現するためには
まず
「いつ」それをやるかを
決めなくてはいけないと考えがちだけど
「いつか」それをやることを
ちゃんと自分に約束できてさえいれば、
日々の出来事が次第に輪郭を増していき
「いつの間にか」その時機がきている
(必要なタイミングが、自然にわかる)
んだろうなあと。
とくにまじめな人は、
何かを実現するぞ、となったとき、
『タイミング的に、来年の●月にしたほうがいいのかな』
『年齢もあるし、●●年がベストかもしれない』
という感じで
諸々計画したくなるし
『逆算して、この頃には××の資格持っておくか』
『でも難しそうだから、△△を選ぼうか』
など、
その道筋や方法にも
べき論だったり、迷いや悩みが生じてきがちで。
でも、
そのもともと描いているビジョンが
本当に自分にとってぴったりくるものなら
「いつ」それをやるかは
さほど大きな問題ではないわけで。
「いつか」必ず現実になる
とわくわくしながら、
今この日々を過ごしていれば
道はどんどんずんずん拡がっている。
日々の暮らしを丁寧に、
目の前のことを丁寧に、
からだのケアも丁寧に、
人とのコミュニケーションも丁寧に、
ぜんぶ自分なりの丁寧でよいから
心をこめて、わくわくと過ごす。
今、
生きることに
肩の力はもういらないんだよね。
しっかり足を地に付けて、すくっと前を見据える。
そして、一歩一歩、また一歩。
その歩みと光景を、楽しみながら。
その道程と出逢いを、かみしめながら。
時々は
立ち止まってぼーっとして
鼻を通るひんやりとした風を、味わいながら。
うんうん。