いま、うれしい感覚を思い出しつつある。
それは、
「頭」で「考える」のではなく
「心」で「感じる」こと。
このブログも
なんらかの「ことば」にして綴っているけれど
脳のなかで筋道立てて
組み立ててつくったというより、
じぶんのまん中にふわっと
浮かんだきもちをただまとめている
というか。
前回書いた、
アジの干物のごとくぼーっとしていたら
じぶんがいま、本当に必要としていることがふと分かって、
行動の方向性がするすると決まった(ニュアンス)
時にも感じたことだけど、
あまり頭の中でこねくり回す必要はないんだなと。
もちろん、
これまでの多忙な仕事生活のなかでも
空の青さに、雲の白さに、
雨のにおいに、花の色彩に、
オーストラリアの地平線に、
ノルウェーの山の素朴さに、
カナダの紅葉の賑わいに(以下略)
感動したり、
個性豊かな友人たちや上司同僚と、
それなりに、
喜怒哀楽豊かに、楽しくすごしてきた。
それでも
仕事を一旦離れて、
気ままに自由に暮らす選択をとったことで、
からだをゆっくり休めるだけでなく
そこそこ生きてきた中で
知らず知らずのうちに蓄積していた、
脳の使い方とその思考の偏りに気づき、
よりじぶんにとって
心地よいところへ向かう、
そんな時間を与えてもらったのだなと改めて。
たとえるなら、
グラスの中に水を絶えず注ぎ続けることを
一旦止めてみたら
グラスの水に静寂が戻り、
水の甘さとグラスの透明さが際立った。
ここ数週間、そんな気分なのです。
たぶん、
普段の生活の中でぼーっとしたり、
マインドフルネス(瞑想)を意識して習慣にしたり、
はたまた脳をフル回転しすぎず効率よく働いたり
できる方もいるのだろうけど、
わたしにとっては、しばらく、ただの休息が必要だった。
じぶんが大きく深く呼吸をするための時間。
じぶんをフラットにする時間。
じぶんの「好き」を思い出す時間。
それにしても、
わたしたちは、じぶんが思っている以上に
じぶんのことをちゃんとよく分かっている。
迷いながらも、その時々で、
ちゃんとベストの選択をできている。
自分の感覚や感性を信じてていいし、
自然に気の向くままに進んでいい。
生きることは、やっぱり面白いし幸せですね!(拍手&握手)