この1ヶ月を振り返ってみたら、
自然に「やめたこと」がいろいろとあった。
- エスカレーターを歩かない
(本来、のんびり運ばれるためのもの) - 入りたくないときは、無理にお風呂に入らない
(体温上げたくないときもある→シャワーで済ませる) - 知り合いがいるかな?と目を配りながら街を歩かない
(気づいたら、きっと向こうから声をかけてくれる) - 何かほしいものや面白いものあるかな?と期待しながら街を歩かない
(ほしいものははじめから心にあるし、自分から行く) - はりきって、英会話も/Readingも/Writingもとがんばらない
(最近はもっぱらReadingメイン) - しっくりこないときには、無理に決めない
(食事の献立、美容院やヨガなど日々の予定から先の目標まで)
いまざっと思いつくのはこれぐらい。
以前だったら
お風呂に入って疲れをとらなきゃ、、
英語やるなら、インプットもアウトプットも大切だから、、
街を歩くなら人と会話もするし、面白いものも見つけないと、、
いますぐ予定を決めて、早く先に向かいたいし、、
とどこかじぶんに言い聞かせながら、
取り組んでいたことたち。
それがリフレッシュになる人や時期や場所もあるだろうけど、
いまのわたしの日常生活には、
そんなに要らなかったという。
いやはや、
じぶんの感覚(感性)に正直になることを知ったら、
ふしぎと自然に「やめていく」ものですね。
卒業という感覚なのか、なんなのか。
この場合は手放したのは、
服などの「もの」ではなく、
経年続いていた「習性」「習慣」だけれど、
これはこれでだいぶすっきりする。
他にもなにか手放せること、あるかな??(やみつき)
思えばわたしたちは、
じぶんの「好き」はもう十分知っているし
じぶんの「ほしい」もそれなりに理解しているし
じぶんの「大切」もしっかり選択できるわけで。
不要な「もの」や「情報」の断捨離に加えて
不要な「習性・習慣」もどんどん脱いでいったら、
つるつるゆでたまごのようなじぶんになれそう。(よだれ)