最近、よく思い出すことがある。
それは、
とある大きな木との出会いと再会。
もう10年ぐらい前に
旅先のある神社の境内で出会った、
樹齢1200年を越える木々。
なんだかふとまた会いたくなり、
先の12月に、
十数年来で
電車とタクシーを乗り継いで訪れた。
本殿への参拝を終えて、
木々に囲まれた境内をさんぽする。
まだ寒い季節だったので、
地面は落ち葉におおわれてふっかふか。
普段コンクリートの道を歩くことが多いので
そのやさしい感触を踏みしめながら。
「こんにちは」
「おひさしぶりです」
と、一本一本の木々に
心であいさつをしながら。
そうして
きれいで美味しい空気を
からだの隅々まで味わいつつ、
境内の奥のほうにまで
ゆっくり歩いてきたわたし。
根元近くに立ち、
「一体」というほうが自然なぐらい
一本の大きな木を見上げる。
以前と変わらない、
泰然としたたたずまい。
わたしは、どうだろう?
この数年で
なんにも、変わってないともいえるし
ずいぶん、変わったともいえる。
樹齢1000年以上のこの木にとってみたら、
人間世界の1年3年5年なんて、
小さなことですよねきっと。
地に大きな根を張り、
ただただ、上へ、空へと
幹を枝を自由に伸ばすその姿に
ぼーっと、静かにみとれていた。
つぎの瞬間。
生きることは、
じぶんでじぶんを築くこと。
それさえ見失わなければ
あとはじぶんに、
ただ「自然」でいさえすればいい。
そんな気持ちがふわっと
胸にとびこんでくる。
そうか、
じぶんの人生に対する
まっすぐなきもちを
忘れずにさえいれば、
あとはもう、自然体で過ごせばいいんだな。
じぶんにとっての”自然”を超えるまで
むりにがんばることは
もうやめていいんだな。
と心がやわらぐ。
そしてなにより
だれのためでもなく
ただそこに凛と在り続ける
大木の姿に、
あるがままに、自然に生きる美しさ
地に根ざし、じぶんのいのちに胸を張って
すくすく育ちゆくいさぎよさ
唯一無二のじぶんの「からだ」を
生き切る覚悟と、その強さ
を感じ、心を打たれる。
あの日から数ヶ月。
最近しきりに
このかけがえのない瞬間を思い出すのは、
この「再会」のあと、
いまのじぶんにとって
だいぶ無理すること(英語の勉強とか。笑)
自然体でないこと(月1帰省とか。笑)
を丁寧に見きわめ、
手放せはじめたこと、
そして
いのちの季節である春になり
なおかつじぶん自身も
春に生まれたこともあり
わたしたちはやっぱり自然の一部だし、
自然に生かされている存在ということを
日々実感できていること、
など
改めてあの日気づかせてもらったおかげで
すっきり明るく進めはじめているから、
なのかな。
うん、きっとそう。
いやーそれにしても、
昔のわたしは
月に一度は実家に帰ることが当たり前で
それが本当にたのしいし幸せだったけれど、
いつの間にか、そんなに頻繁でなくてもよくなってたというね。
(それでも、いまも
2ヶ月に一度ぐらいは帰るけど。笑)
いまのじぶんにとっての
「自然」「自然体」の心地よさって
なんだろう?どのへんだろう?
を模索するプロセスも、
またたのしいですね。
生まれたしあわせ、
生きるしあわせ。
ある日生まれたしあわせ、
今日を生きるしあわせ。
この大きな木に、
ご縁あるすべてのいのちに、
感謝をこめて。
るんるん!(伸びをしながら)