happy_sleeping_horse

ふーー。はーー。

今まさにこの馬のようなきもち。

毎週休日出勤の日々も、

イベント終了してここでひと段落。ひと安心。

 

ちなみにこの写真は、
家にあった冊子に載っていた馬です。

出典元わからず転載失礼します。

しかしかわいいわ… 目が合った瞬間とろけるわ…

(どうでもいい補足:上記語尾の「わ」は方言調。静岡?東北かな?)

 

というわけで、あくびがとまらない今日。

風に吹かれながら、
椅子やソファの上にあぐらかいて、
あくび後の涙目のままぼーっとする晴れた休日最高である。

 

それにしても、この数ヶ月とくに感じること。

 

ひとの「まなざし」ほど正直なものはない。

 

名は体を表す、しかり、目はこころを表す。

目に色がついている感じ、というのだろうか。

 

怯え、不安、嫉妬、怒り、悲しみ。
濁り、淀み、うつろ、揺らぎ。

安堵、希望、喜び、優しさ、幸せ。
純粋、聡明、深遠、煌めき。

 

本当「こころの窓」だなあ。

 

だから、「目の色が変わる」という表現もあるのね。

はあ日本語すごい。(口癖)

 

そして面白いのは、だれかのまなざしにこころが宿る、

つまり目の色が外側から見えるということは、

 

言い換えると、

自分(主体)が世界をみつめるとき、

その時、その瞬間の、自分の心のフィルターを通して外の世界を眺めている

ということでもあるわけで。

 

悲しいことがあった日、世界はなんとなく暗く見えるし、

ハッピーな出来事があった後は、世界はぱっと明るくなる。

そのときそのときの、心模様で、同じできごとでも見え方や感じ方がまるっと変わる。

 

たとえば、わたしは最近忙しかったので、退社後家に到着して「ただいま〜」とずるずる廊下を歩いていたら、母に「ずるずる歩いているわねえ」とケラケラ笑われたのだけど、

いつもなら気にならないし、むしろ「ほんとだよねー」と一緒に笑うのに、その日はなんだかいらっとした。

そのとき、「ああわたし、疲れているんだな」と自覚。

 

逆に、朝起きて、ベランダに出て、富士山がぽっかり美しい姿で現れているとき、そのどどーんと雄大な姿にインスパイアされて、

その後駅に向かうまでの道々、木々も花も、ひとも犬も、「わたしたち小さいけど、今日も生きていますね〜」と声かけたくなるぐらい、謎に心が広くなったりする。

まあこれはちょっと極端だけど。でも実話。笑

 

わたしたちが見ている「世界」は、

自分の心が映し出しているもの。

自分自身の「視界」。

 

事実はたったひとつ。

別に色も付いていない。

 

それを眺める自分自身の気の持ちようで、いくらでも彩りが変わるんだなあとなっとくする今日この頃。

 

そして、そのことを知っている、

つまり、普段から少し意識しておくだけで

肝が座る感覚もおもしろい。

目の前の出来事とそれを受けとめる自分の感情を、ある程度客観視できるので、あまり動じなくなるというか。

 

そのへんはまた、はっきり分かってきたら書けたらいいな。

 

今日のひとこと:

なにかひと段落すると、無性に掃除がしたくなるのはなぜだろう?
掃除機がけ、トイレ掃除、洗濯物たたみ、茶碗洗いを無心にやってしまった。

この記事を書いた人

ソニー人事(研修・人材開発)を約15年
→ オーストラリアへ語学留学・ヨガ
→2020年11月 フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動開始。会社員と個人のおしごとの複業ライフを実践している。2022年はようやくインスタを開始してみたり英会話を楽しんだりする日々です。