Yukiです、こんにちは。
いやー!
阿部兄弟、すっごいですね!
柔道は、個人競技ですけれど
なんていうか、
二人のもつゆるぎない絆のもつ力も
あいまった勝利という感じで
しびれましたなあ。
大野選手もまた、
金メダル獲得後の
インタビューがすてきで・・・
武道館の天井を仰ぎ見たその思いとか、
なんて真っ直ぐですてきな方なんだろうと
こちらも、胸があつくなりました。
あと、
これは、どの選手も共通ですが
試合後の
したたる汗の美しさたるや・・・
スポーツは、やっぱりいいですねえ。
(アイスを食べながら)
さて、「ことばのもつ力」について。
今回も、いまのわたしが
感じているままに、
つれづれまとめてみたいと思います。
以前の記事でふれた
「ひだり・みぎ歩き」
後日、追加で得た気づきがあったので
まずこれについて。
ひだり・みぎ・ひだり・みぎ と
「ことば」を繰り返しながら、
それに合わせて
「からだ」を繰り出す。
わたしたちが、
普段なにげなくとっている
「歩く」という一連の動作のなかで
「ことば」と「からだ」の
歩調を揃えることにより、
ぶれにくいからだやこころを
つくっていくことができるのでは・・・
と、ご紹介しました。
そして、また別記事では、
「ひだり」
「みぎ」
の微妙な語数(語感)の違いが、
わずかなバランスの違いを生み、
からだが無意識に
バランスを調えようとすることに
なるので、その点でもよさそう
というようなことも、書きました。
そのあとも、
わたし自身
あちこち歩きながら
あるときは、ひだりみぎ歩きを。
あるときは、いちに (1・2)歩きを。
あるときは、ぼーっとしながら。
そうこうする中で
みえてきたのは、
どんな歩き方でも
歩くのは、きもちがよい
ということ。笑
ほんと、その通りだワン!
そのうえで、
ちょっとゆったりペースで
自分の内なるバランスを調えたいなら
「ひだりみぎ歩き」を。
軽快に、前へ前へ
すすむことを楽しみたいなら
「いちに・いちに歩き」を。
今はただ、何も考えず
風をあびて、景色を味わいたいなら
「ぼーっと歩き」を。
今このとき
じぶんの思いや感じていることを
ベースに、
その「ことば」や
歩き方、すなわち「からだ」を
合わせていけばよいんだな、
そんな気づきに、至りました。
それでですね、
ふと、思ったのですよ。
あれ?もしかして
「ことば」って
もともとは
そういうものだったじゃないか、と。
昨今のわたしたちには、
「思考」(考えること)が土台にあり
「ことば」は、そうして考えたことを表す
ツール(道具)として、用いる向きがある。
「考えたこと」→「ことば」という流れ。
でも・・・
たとえば、先述のように
今の自分の心持ちをもとに
ことばを選び、歩き方をつくるのは
「ことば」→「からだ」
「からだ」→「ことば」
という両輪の流れが、そこにある。
オリンピックをはじめ、
全力でたたかった後の
選手のことばが
わたしたちの胸を打つのは
彼ら・彼女らが、
その「からだ」全身を躍動させ
その「いのち」を熱くともし
いま、感じていることを
飾らない「ことば」で、まっすぐに
伝えようとしてくれるからなのでしょうね。
まあね、大人になると
仕事だったり人間関係だったりで
いろいろとことばを巧みに
使わないといけない場面もあるし
その技を磨いていくことも必要だけれど、
結局のところ
わたしたちは
「からだ」で 内なる力を体現し、
「ことば」で 内なる思いを表現する。
そういう存在なのだろうなあと。
思えば、
子どもの頃は
その日あったことを
絵日記に書き、
「あのね、こんなことが、あったんだよ!」
「わー、そうなんだね、すごいね」
と、相手に
自分のことばで
伝えられたことのうれしさといったら
なかなかシビれるものがありましたよね!
あるときは
「からだ」を動かし、
そうして感じたことを「ことば」にする。
またあるときは
「ことば」を用い、
「からだ」を生き生きと動かしていく。
そんな
「ことば」と「からだ」の “原点” を
いま、もう一度、大切にしたいよなあ
なんて、思っているのです。
さ、まだまだ続くオリンピック観戦。
まいにち、幸せですなあ〜(仰向け大の字)