一日の終わり、補聴器を外してお風呂に入ってほわーんと弛緩すると、
待ってましたとばかりに 耳鳴りが始まる。
わたしも、もう慣れたもので、「ハイハイ。」というきもちでそれを聞く。
小さい頃は、あまりなかった気がするけれど、
耳鳴りをはっきり自覚し始めたのは大学生の頃かなたしか。
ひとり暮らしをはじめて、補聴器を付けずに生活する場面が増えたことも関係ありそう。
ちょうど、家に NHK「きょうの健康テキスト」があり、耳・鼻・のどの病気についての特集が。
耳鳴りについても載っているのでちょっと抜粋:
⚫︎耳鳴りの仕組み(2015年1月号 p. 55より)
1)耳に入る情報の減少
↓ 耳はさまざまな音を脳に伝えているが、難聴になると耳から入ってくる情報が少なくなる。
2)中枢神経の抑制が利かなくなる
↓ 耳から入る情報が少なくなると、脳の聴覚中枢にある神経細胞の興奮を抑えられなくなる。
3)一部の細胞が異常に興奮する
↓ 抑制が利かなくなることで、聴覚中枢の神経細胞の一部に異常な興奮が起こってくる。
4)耳鳴りが起きる
ほーー、なるほどなー。
耳鳴りって
いわゆる音が「きこえにくい」状態を、
外界からのインプットが「足りない」ものと解釈し、
内界でその不足を補おうと、神経細胞の興奮というかたちで活動を起こす。
そしてそれを「耳が鳴っている」と、身体で感じている状況なのね。
身体って、体内だけのメカニズムと思いがちだけれど、
無意識に外の世界とのバランスもしっかり捉えているところが面白すぎる。
それにしても、毎晩細胞が興奮しているらしいわたしの身体は大丈夫なんでしょうか。
お疲れ様です、わたしのからだへ。(深々)
大学生活を送っている頃、家で補聴器外してのんびりしているとき
ふときこえてくる「耳鳴り」は、当時音楽を聴いて楽しむ習慣を持っていなかったわたしにとってちょっとした「BGM」だった。
きこえないわたしが、唯一、補聴器を通さずに味わえる音、
それが耳鳴りだったから、なんとなくいとおしく感じていた。
本当は聴くための耳なのに、わたしの耳はそうじゃないんだなというさみしさも込めて。
(会社に入ってからはそうでもなかったけれど。
疲れていると、いとおしいどころかうっとおしい時もあるから。
まあどんなに耳鳴りがしていても眠気がきたらすぐ寝れるのび太体質なので!)
耳鳴りがすることを英語では、
My ears are ringing.
または、singingとかhummingと表現するらしい、いいね。
同時に、日本語の「耳が鳴る」という表現もけっこう好き。
わたしの個人的な感覚だけど、たしかに「歌う」というよりは「響く」ものなので。
ギターの弦を弾いたときに、内にこもるような余韻の響きがそれに近いかもしれない。
耳鳴り、とすっかり名詞化されたことばだけど、
耳が鳴る、とちょっと動詞にしてみるとことばの本質がそこに見えてくる。
たぶん、今夜もわたしの耳は鳴る。
今日のひとこと:
耳鳴りの醸し出す「音」をオノマトペで表してみたかったけど、うまく絞り出せず。
ぼーんでもなく、じーんでもなく、つーん、ぶーん、、、意外と難しいこれ。