(なんてこったい)

ふうむ。

何かのヒントになるかもだし、メモしておく。

 

発端は、パラパラっと読んだ本。

ひとはみんな、自分のなかに答えを持っている、とのこと。

まあそりゃそうだ、と思いながら読み進める。

すると、

・・・

・・・

 

ここで下書きが終了していて、ずっこけ。

 

10月に書きかけたまま、

下書きに入れっぱなしだった文章を

さっき発見して、我ながらわくわく読み進めていたのに。笑

 

やっぱりなにごとも、
思った瞬間に綴らないともったいないな。

なんの本かさえも、まったく覚えていないし。(遠い目)

 

時間の加速度が早まっている昨今、

ぼんやりしていると「今ここ」は

あっという間に「過去」になる。

 

あまり考えがまとまらなくてもいいから、
鮮度を大事に。

きれいに語ることよりも、
素直に率直に伝えることを大切に。

もちろんある程度は整理して
アウトプットすることも必要だけど、

過度にぐるぐる抱えなくてもよい
ということ。

 

ポンっと外に出してみると、

それはまず自分の「ことば」になり、見えてくる。

 

ポンっと人に伝えてみると、

相手の「ことば」や「反応」になり、

新たなかたちになってくる。

 

ふと閃いたり、
ふと感じたり、
ふと疑問に思ったり。

そんな「なにか」が自分のなかに生まれたのなら、

先ずは自分の中だけでじっくり味わうもありだけど、

そのうちメモなり日記なり

なにか自分なりの「ことば」に置き換えてみるのはよさげ。

 

あとは、

SNS等を使ってまわりにテキスト発信してみるもあり、

まわりの人に「まだまとまってないんだけど〜」と口頭でちらっと伝えてみるもあり。

 

いやわたしもこれ書きながら、

まだまとめきれてないのだけど〜。笑

 

折角、何かの化学反応が起きて

この世に生まれたエネルギーだから、

それを動力に変えて、

行動する。

 

それが、気の流れ的にもきもちがいいんじゃないかなとなんとなく思うこの頃。

 

そしてそれは、ある程度のスピード感も大事。

中に抱えたままなのは、

極端にいえばまだ「ない」のと同じことだから。

 

まあアウトプットのタイミングもあるだろうけど、

折角の「ある」を、貴ぶ姿勢で。

 

生まれたなにかをどう料理しようかなと

わくわく楽しむ姿勢で。

 

そして、

行動するとフィードバックが返ってくる。

たとえば、「今アクションカメラに興味があるんだ、サーフィンするときに海で撮りたくて」と飲みで会った友だちに喋ってみる。

その場は「そうなんだ〜」で終わるかもしれない。

 

でもそれが友だちの頭の隅っこにあって、

あるとき友だちが仕事の取引先で知り合った人が、アクションカメラの研究開発に携わってたりしたら

『あ!』と繋がるかもしれない。

 

なんらかあとで、「化学反応」が起きてくる。

だからタネを蒔けば蒔くだけ、

じわじわと自分の周囲の地面の下にいい具合に「可能性」の芽が育つわけで。

 

以前のわたしは、自分のことはけっこう語らない人だったけど、

これに気づいてから、感じていることや欲していることはぺらぺら話すようになったかもしれないなあ。

 

さて、今日はこれから、

「レインツリーの国」を日本語字幕付きで鑑賞。

字幕上映期間中にもう一度観たいと思いつつ、

平日は仕事だし、どうしてもほかで時間が取れず、

休息重視なわたしにしてはめずらしく

日々の通勤時と同じぐらい早起きしての行動。

 

それでも、いつもより寝覚めはいい。観たいから。

「動力」、だいじだな〜。

この記事を書いた人

ソニー人事(研修・人材開発)を約15年
→ オーストラリアへ語学留学・ヨガ
→2020年11月 フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動開始。会社員と個人のおしごとの複業ライフを実践している。2022年はようやくインスタを開始してみたり英会話を楽しんだりする日々です。