yukidaruma

 

とある日の朝。

いつもの電車に乗り込み、席に座り、ほっとひと息。

窓から、あたたかい朝の光が射し込んでいて

車内の奥の方まで陽光に満ちていて。

もう春も近いんだな、

となんとなしに感じて、心がふわっとほころんだ。

 

そうして目を閉じたとき、ふわっと字のようなものが瞼裏に浮かび。

ん?なんだろう、と目をつぶったまま目をこらしてみる(超人)。

 

「 幸 」

 

そこにはなぜか、薄暗いなかに、ぼっと灯るような「幸」の漢字が。

中でも強く感じたのは、この「幸」という字の上下をつらぬく直線のイメージ。

自分のなかに揺るぎない軸、信念、芯があること、

それが、

幸せな人間である、幸せになる、大きな土台なんだなあ

今現在のわたしが大事にしたいことなのかな、とあらためて味わってみる。

 

その数日後。

とある日の夜。

会社から帰宅して、お正月に放送されていた

五郎丸さんと又吉さんの対談番組の録画をなんとなく見始める。

二人の対談中心で、合間にときどき、体操選手や飛び込み選手のドキュメンタリー。

五郎丸さんかっこいいわ!

ふー!

プレーも気持ちいいけど、言うことも気持ちいいわ!

ふー!

という話もしたいけど、今は別の話をしなくてはならない。笑

 

その番組中、飛び込み選手のお父様(彼自身も元選手)がこんなことを仰っていた。

「辛いことを抱えることができれば、きっといいことがある」

練習の日々、努力の蓄積に対して向けられたことば。

辛いことを抱きしめて抱きしめて抱きしめて耐えたら、なんかいいことあるよ。

耐えたら、何かひとつ成長できることがあるかもしれないから。

そんなニュアンスらしい。

たしかに「辛」に一本足せば「幸」だもんね。

 

それを聞きながら、はたと気づきを得る。

むかしはなんとなく、

辛いことを乗り越えるとか向き合うとかの

その先にいいことがあると信じて生きていたけど、

いまはもう少し違う感覚になっているわたし。

 

世知辛い経験や挫折、失敗をするなかで、

それらを、自分のなかにどれだけ意思をこめて受けとめる覚悟があるか。

幸せになるって、

試練を越えるとか、苦難に耐えるとか、辛い経験の先にあるものというより、

むしろそういう悔しさとか挫折とかを

自分の中にどう携えるか、人生のなかに位置づけるか、

よしっと決められた(=覚悟をした)瞬間にそれでもう十分幸せなんだろうなって。

 

つまり、

辛いことの先に幸せがあると信じているうちは、

幸せはいつまでもなにか苦しいこととセットで授かる。

辛いことも幸せの一部として、

「そういうこともあるよね」「こんな経験させてもらって、これもありがたいな」

と経験している瞬間に同時に許していれば、

辛さはすでに幸せでもある。

つまりどんな出来事も経験も幸せな、無類の幸せ者ということ。

baloon

だから、

「辛」に一本足すと「幸」になる

この一筆は、

むかしは、幸せは、努力とか困難へのチャレンジの先にあることを示唆しているのかとぼんやり感じていたけど、

もしかしたら

単純に、自分がその経験をどう解釈するか受容するかといった

自分の意思(意志)でいかようにも変わる

そんなことを、この一筆は意味しているのかもしれないなって。

つまり、

「辛」に一本足して「幸」にする。それは自分がいつでも決められる。

「幸せになることを、わたしが今そう決める」勇気、

「自分を幸せにすることを受け入れ、今この瞬間からそう生きる」覚悟、

それが一筆書き入れるという動力のみなもと、自分の意思。

 

それなら、何か辛いことがあったら、ぐだぐだしていないで、もうさっさと一本書き足したほうが早いね。なるほど。笑

漢字一文字から、いろいろ感じられる日本語、いいね!

 

 

まあ、日々生きていると、仕事や家庭生活で人と関わっている中で

「え、なんでそんなこと言われなきゃいけないの」と思うような不可解なことばをぶつけられたり、「どうしてうまくいかないんだろう…」とふがいない自分に落ち込むこともあるかもしれない。いろんな人といろんな場面で関わる以上、やっぱり、理不尽な出来事は起こる。

ぜんぶ、ここ数ヶ月でわたし自身も味わったこと。笑

そんなときは、なんらかの人生の学びなんだろうと察しつつも、

やっぱりそんな状況や、他人や、自分にうんざりもする。

少し先には「実になる」と信じて、淡々とこなすしかないのかな。

 

でもそうしてこなしていると、

面白いもので、ある日、「抜けたな」と感じる瞬間がちゃんとくる。

それは、今日のブログでいう、

一筆書き入れることができた瞬間、なんだね。

自分の意思次第で、この「辛」を「幸」にいつでも変えられるんだと知っているとそのこなすしかない時期、トンネルに入っている時期が短くなるのかもしれないなあきっと。

 

幸せは、探すものではなく、もうすでに授かっている。

あとは、自分がそうなるか、どうするか決めるだけ。

決めたら、それをしっかりと自分に許すだけ。託すだけ。

 

この記事を書いた人

ソニー人事(研修・人材開発)を約15年
→ オーストラリアへ語学留学・ヨガ
→2020年11月 フリーランスのキャリアコンサルタントとして活動開始。会社員と個人のおしごとの複業ライフを実践している。2022年はようやくインスタを開始してみたり英会話を楽しんだりする日々です。