どうも、こんにちは。
なんて、ちょっとゴリラに言わせてみた。笑
あーごろごろしたい。
かっこよくごろごろしたい。(なぜ)
さておき、最近、「これいいかも」と気づいた在り方。
真に・受けて・流す。
合気道あたりのちょっとした達人になった気分でやるのがポイント。笑
ふっと、ほんの少しだけ姿勢を正して、目の前の相手に集中力を高めて臨む。
なんていうか、武道でいう「構え」みたいな?
何の気なしに、気兼ねなく話せる相手であれば
きっと自然体のままでいいんだろうけど。
でも時折、自分とはちょっと毛色の違う人ももちろんいるわけで。
こと仕事の場面では、丁寧に応対することも必要になる。
そんなとき。
コミュニケーションという名のエネルギー交換にあたり、
まずはかるーく「構え」をして、
目の前の相手に敬意を払いつつ、
真に・受けて・流す という 「型」を意識しながら、
相手との応酬を楽しむ感覚。
武道って、実戦でどんな技を繰り出すにしても、そこに至るまでの構えとか所作とか呼吸とか外せない。
わたしも昔、日本拳法をやっていたので(割りとなんでもやってるな。笑)分かるんだけど、とにかく基本の型の練習を繰り返して徹底的にその構え方を身体に覚えさせるんだよね。
そうすると、実際に相手を前に向き合ったときに、自然と身体がはまるというか。
相手がいるんだけど、まず、自分にはまってる感じ。
とるべき型を体得してしっかり肚に落としていれば、
相手にも余裕を持って、向き合える。
だから、
ただ向き合うよりは
ちょっとした「型」を自分のなかに持っておくと楽で、
最近のわたしの場合は、
この「真に・受けて・流す」が
けっこうはまってるということ。
こと仕事の場面だと、
相手の思いなりリクエストなり、
発言をすべて「そうですよね」と受けとめていると、
自分の真意ではないから、苦しくなるときもある。
(もちろん、全部がぜんぶ、受けるだけではなく「これはそういう意味ですよね」とか「あれ?本当にそうなんですか」とやりとりする場面もあるけれど)
一方で
相手の思いやリクエストなり、
発言をはじめから『違うなあ』『うーんそれはどうだろう』とふわっと左から右に流してばかりいると、
この会話の中でなにを決めたいか、どう歩み寄るかにも届かないし、
せっかく時間を割いているのに、自分のなかで化学反応を起こせないし、
あと、なんとなーく聞かれてることを察した相手が、不機嫌になることもある。そりゃそうだ。
だから、
まずは、ちゃんと真に受ける。
相手のことばと思いを、しっかり受けとめる。
でも次の瞬間にはちょっと流す。笑
真に・受け・流す。
(押忍!)
流すのは、そのことばといっしょに届いた相手の「感情」かもしれないし
相手は親切心から言っているけど、ちょっとスルーしてもよい「内容」かもしれない。
真に受けるか、
真に受けなくてよいか、
はそのときに感じる、自分の直観で決めてよいとわたしは思う。
わたしたちは生きている以上は
いろんな人と出会い、
情報や感情をやりとりするけれど、
やっぱりコミュニケーションも一期一会の感覚は大事にしたい。
「はいこんにちは」(真に)
「はいありがとう」(受けて)
「はいさようなら」(流す)
そうして
一期一会を大事にするということは、
その瞬間
相手はそこにただ在る状態になり、
あとはその佇まいを感じながら
やりとりの内容にフォーカスすることができる、
そんな感じなのかなあとも。
まだつかみはじめたばかりで、うまく言えないのだけど。
あと、もうひとつ、
都度ちゃんと向き合って「流す」ことができていると、
新しい「こんにちは」が飛び込んでくる。
それは苦手な相手を「流す」と、
別の素敵な縁と「こんにちは」できることだけではない。
苦手な相手が伝えてきた内容なり感情を
ちゃんと真に受けて「流す」と、
それは一旦自分のなかでチャラになり、
また次の瞬間その相手を
新しいきもちで迎えられる。
場面場面ではなく、瞬間瞬間で。ことば単位で。
自分も余計なものを蓄積しすぎずに
つねにフラットな状態で臨めるのはほんといい。
やっぱり身軽で気軽なのがいいよね、春だもの!