今夏の目標、何にしよう。
スイカを思いっきり割る?
カルピスソーダの一気飲み?
枝豆飽きるまで食べる?
目標というか、ただの欲望だな。笑
とりあえず、
なぜか小さい時から
水ヨーヨーが大好き人間なので、
お祭りで気に入った色柄のひとつを見つけたら、
気の済むまで、手のひらでポカスカ突きたい。
あーーはやく突きたい。笑
さて。
最近、ぼんやりと感じていることがある。
育つこと、成長すること、一人前になること。
また、それを支援することに関して。
一般に、
学校教育や、入社後の職業人教育は、
育むべきスキルやその将来像を整理して、
現状と比較してそのギャップを自覚させ、
不足している能力や、達成すべき姿に向けて研鑽する、
というアプローチが多い傾向にあると思う。
(もちろんそうではない視点と、その施策もあるけれど。)
2002年来、
人材育成や人材開発の仕事を手がけてきたわたしだけど、
ここ数年は、担当している施策上、
「育つこと」
「成長すること」
「一人前になること」
これらをキーワードに、
一人前になるってそもそもどういうことだっけ?
なにを提供するとよいのかな?
などなど、思考をめぐらす機会も多くなった。
そして、これまでに社内で提供されてきた
プログラムを粛々と引き継ぎながらも、
「ここで、なりたい姿を
もっと意識してもらえたら、成長意欲も強くなるかな」
と要所要所をちらほらアレンジしてみたり。
でもなんていうか、
最終的に
ひとはほっといても育つ
結局そういうことなんだろうな、と実感している。
では、
ほっといても育つのならば、
ひとが成長するうえで大切な視座とはなにか。
それは、
足りないものを補い続ける、
いわば マイナスをプラスにする
足し算の発想ではなく、
自分の中で自分像を見つけて形づくっていく、
いわば 「中心」を見つける
割り算の発想
なのかもしれない。
幾多ある情報、日々重ねている経験、多種多様な人との縁。
わたしたちが毎日の生活の中で味わい、思考していること。
また実際に行動したことや、その結果。
それらをどう内省し、
自分自身のストーリーとしてはら落ちできるか、
そして、どのように前に進んでいくか。
生きることは、その繰り返し。
生きることは、
自分の輪郭を形どっていく作業ともいえる。
木を削って仏像を彫る、
つまり、自分にとって大切な「真ん中」を見出す。
自分のアイデンティティを知ること、思い出すこと。
そうして、その「真ん中」を知っていると、
自身のそのまわりに何が必要かもなんとなく分かるし、
自然と自分でそれを取りに行く。
もう、足し続けなくていい。
もう自分の中にちゃんと輝く自分はいて、
あとはそれに、
自分がまず認め、
自分が見出し、
人との関わりのなかで自分が勇気を出して引き出せばよい。
ならば、
育成する側に立った人間は、
育成する目の前の相手は
すでに十分足りている、
満ちている存在である
という最前提のもと、
あとはそれに本人が気づき、
ともすれば雑多な日々を
「割り算」しながらも自分軸でいる、
そんな習慣が立てられるように支援する、
つき詰めればそれだけでいいのかもしれないなって。
うーん、まだまとまってない部分もあるけど、
今感じていることをつらつら書いてみた。
ふぁー、久しぶりに長くなったな。(大欠伸)