昨年訪れた、オーストラリアでのひとこま。
まだ一年経ってないけど、
ずいぶん昔のことのように感じる。
歳かな?笑
海、砂浜、太陽、波、サングラス、はだし。
あたま空っぽにして、
砂浜にはだしの脚をなげて、
遠くの水平線をぼーっと眺めた幸せ。
さて、
今日はそんな風に穏やかではないときの(笑)
こころの見つめ方について、
個人的気づきをメモがてら。
何かに怒ったとき、
何かにいらいらしたとき、
何かを嘆いているとき、
何かを憂いているとき、
何かが悲しいとき、
何かがつらいとき。
わたしたちの心のなかには、ボールが現れる。
ふつうのテニスボールや野球ボールではない、
ちょっと変わったボール。
あるときは、端切れを寄せ集めたようなたま。
あるときは、丈夫な太紐をぎゅぎゅっときつく結んだようなたま。
あるときは、チェーンをがんじがらめに縛ったようなたま。
これ、”感情”のボール。
“反応”のボールと言い換えてもいいかも。
なにか出来事があったときに、
とりたてて自分の中で反応しなければ生まれないけれど、
思考の癖であったり、
いわゆるバイアスをかけて眺めたりすると、
ぽろっと心の中に生まれるボール。
怒り、悲しみ、驚き、なんらかのかたまり。
「あ、ボールが出てきたな」
と思ったら、
一瞬たじろぎながら、
次の瞬間にはつぶしたり投げたりしたくなるかもしれない。
蹴っ飛ばしたい勢いのときも、あるだろうね。
でも、まずはボールがこころの中にあることをみとめる。
それだけでいい。
認める、というよりは、「見止める」。
「あ、今、わたし反応してるんだ」、と。
そして、ゆっくりとほどきはじめる。
ぎゅっと固くなっていたり、こんがらっているボールを
時々もんで空気を入れながら、ゆるんだ箇所をつくり、
ゆっくりゆっくりほぐしていくイメージ。
絡まったネックレスのチェーンを、
指先でつまみ、手を動かしながら、
どこがほどき目かなー?とじわじわ攻めていく感じ。
むすんでひらいて。
最近読んだ本に、グーになった感情は、
パーにしてゆるめてあげるとよい、という一節があり。
なるほどなあと思いつつ、
わたしの場合は、ボールでイメージするとより気持ちがほぐれやすいなあと。
人によっては、
知恵の輪だったり
ルービックキューブだったり
風船だったり
いろんな「感情」「反応」の表し方があるかも。
大切なのは、自分の感情の見える化と、
それを客観視しながらよりフラットに落ち着けていくこと。
ボールも自分の分身のようなものだし、
可愛がりながら、でも最終的にはほどきまくればいいんだね。うしし。
今日のひとこと:
旅をして、こころに響く景色が増えると、
その心地よい音色があとあとまでよみがえってくる。
もしちょっとぐらいいらいらしても、
その時間空間を、こころの中でよみがえらせられると
途端にいらいらも帳消しになるから、
旅の充電効果ってすごいんだなとつくづく。