いつもの通勤路に花屋さんがあって、店先の緑を歩き眺めるのが朝の習慣に。
今朝、ふと隣の蕎麦屋さんに目が向く。すると軒先に背丈ほどもある立派な植木が。しかもふたつも。
もしかしたら以前その花屋さんから購入したものかもしれないけれど、今や花屋で扱っているグリーンよりはるかに生命力強めに育っているという。思わず、「こりゃやられたな〜」となぜか喜ぶわたし。
その瞬間、頭をよぎったこと。
ある「習慣」をもつことは、その行動を徹底的に自分のものにするために大切だとされるけれど、
もうひとつ、
何気なくいつも行っている習慣があれば、それとの対比から、自分の中や外で起こっている「変化」に気づくことをも促してくれる。
非日常(=変化)は、日常(=習慣)があるから際立つもの。
だから、自分がよいと思ったことをどんどん日々の習慣にすることは、その周辺にある、新たな発見や気づきにつなげるためにも大切なのかもしれないなあとふと。
この場合、もしもわたしに花屋の店先を眺めるという「習慣」が無ければ、
ふと目線を変えるというごく小さな「変化」を経て、目にとまった蕎麦屋さんの元気な植木とご対面して無性に嬉しくなる、
という今朝の出来事はそもそもなかったわけで。
もしかしたら、いつかは植木の存在に気づいたかもしれないけれど、「習慣」は「変化」を際立たせるという気づきとセットにはならなかったかもしれない。
うーん、いまひとつうまく説明できてない気がするけど。
実は、今意識しているキーワードが「習慣」なわたし。
行動しはじめたわたしだけど、飽き性だし、どこまで習慣化するのがいいのかなあとぼんやり考えていたところ。
「習慣」づけるということは、同時に「変化」にも気づきやすくなると思えば、続けることも苦にならなそう!いいこと気づかせてもらったな〜(鼻歌)