こんにちは! Yuki です。
昨日、神社参拝にいってきました。
・・うん?
神社に、参拝しました。(言い換えた)
最近、ちょびっと、
自分のつかう日本語が “おかしく”
なっているなあと、気づきましてね。
ちょっとずつ、ズレを修正しているところなのですよ。
さてさて、その神社でのこと。
鳥居に一礼をしてくぐり、
神社の境内に足を踏み入れたとき。
足のうらから、心地よい踏み心地が伝わってきました。
玉砂利の、きゅきゅっとした、感触です。
補聴器の調子がいまいちだったので
「別に、人に会って話す予定があるわけでもなし、大丈夫だな」と、
両耳とも、外した状態で訪れました。
つまり、無音の状態 in 神社。
そんな無音の状態で、
しかもフラットなスニーカーで、
歩いたものですから
(吉祥寺でリピート購入している、真っ白コンバースですふふふ)
足の裏から、
くるよ、くるくる、
玉砂利の心地よい感触が!
うーん、じかに触っていないから、
「響き」というほうが
よりしっくりくるのかもしれない。
でね、
そこから自然と、
ひだり。みぎ。ひだり。みぎ。
と、歩みをすすめる中で
さらに、
気づけたことが、ありました。
以前の記事で
ちらっとお話した、
1・2・1・2 よりも
ひだり・みぎ・ひだり・みぎで歩くのが、
なんともお気に入りだった、
その理由について
なのですが・・・
なんだったと思いますか?
それは、
ひだり・みぎ・ひだり・みぎ の
リズムで 歩みをすすめる方が、
自然と、からだのバランスを
とろうとするから
だったんです。
「ひだり」: 3文字
「みぎ」 : 2文字
↑みぎの横に、
ちょっぴり余白がありますよね。
この1字分、
ほんの少し
音の数がちがうことで、
足を差し出すときの
リズムがちょこっとずれる。
そうすると、
からだがちょっぴり
バランスを崩す。
そして
そのズレを整えようとして、
からだが「まん中」を
せっせと探しはじめるんですな。
ひだり・みぎ・ひだり・みぎと
「ことば」(脳)で 呼びかけ、
「からだ」(足)で それに呼応する。
そしてそのまん中には、「わたし」がいる。
ことばと、
からだと、
わたし。
生きるうえで
大切なこの3つが、
いまここで、たしかに合わさっていることを
静かに実感できる・・・
そんな、ひとときでした。
へえー! 「ひだりみぎ歩き」かあ。楽しそう!
おだやかに静まった、境内。
参拝におとずれたひとびとの、笑顔。
靴底の裏からささやかに伝わってくる、玉砂利のひびき。
樹齢千年を越える、大楠の木。
そして、それらを眺めている、「わたし」。
うーん、
なんともいえない、
あたたかさに満たされた
ひとときでしたわ。(うっとり)
この
「ひだりみぎ歩き」、
やってみたい!とピンときた場合は
熱中症にも気をつけて
よく水分補給をしながら、
試してみてくださいね。
あなたが、今日これから、
街に出るとき、家のなかを歩くとき。
家のなかよりは、外へ。
アスファルトよりは、土の道へ。
公園のもふもふ芝生のうえでも、
いいですね!
(歩いてOKなところですよ、もちろん)
スリッパよりは、はだしや靴下で。
ハイヒールよりは、スニーカーで。
(厚底ソールではなく、フラットなものがいいかもしれません)
そのほうが、
「足裏」で地面にしっかり立つことができ、
自分の内側をしっかりと感じながら
ひだり・みぎ・ひだり・みぎ と
歩をすすめていけるように、思います。
本日の記事、もう少しつづきます!(腕まくり)
ちょいとこちらの画像をみていただけますか (にこにこ)
ガラスのコップに、
水が入っている写真です。
それを俯瞰で撮った一枚。
神社参拝を終え、
外泊先のホテルで
この記事を書きはじめるときに
「まず、記事につける、画像を決めよう」
そう思いました。
そして、
なんとなく
この一枚をチョイスしたのです。
で、ふと、思いました。
「なんか、今日、神社で感じた『わたし』みたいだなあ、これ。」
コップ = からだ
みず = わたし
そして、
水からこぽっと出ている泡が、ことば
そんな風に、感じたのです。
そして次の瞬間、あ!と思いました。
わたしたちは、ある意味
水なのかもしれない、と。
もちろん、肉体をもつ存在ですから
脳をはじめとする臓器もあるし
血もながれている。
それは、自明のことです。
でも、思い出してみてください。
池に、石をぽちゃんとひとつ落とすと、
それは、おだやかな波をたたえながら
外に向かい、
しずかに 広がっていきますよね。
わたしたちも
あるときは、ことばを用いて
あるときは、からだを用いて
自分の内から、外へ、
自分の内なるものを、発していく。
その姿に、わたしは、水をみたのです。
さらに、こうも思いました。
今、日本は、”感染対策” として
人々は マスクをしつづけ、
人との距離をとることが
求められている。
あれ?
なんだか、それはまるで、
わたしたちという存在が、
ガラスのコップの内にとどまり続ける
ことを、各自に、強いているみたい、と。
このパンデミック以前の、
なにげない日々の営みのなか、
お互いの目を合わせ、にっこりほほえみ、
「今日もいいお天気ですね」
といった
なにげないやさしさ・おだやかさにあふれた
あの日の風景が、制限されてしまっている、と。
今、NHKの
朝の連続テレビドラマ「おかえり、モネ」が
絶賛放映中ですが
主人公の 百音(もね)ちゃんが
気象予報士をめざすくだりの中で、
こんな話がありました。
ざっくりとですが・・・こんな内容だったような。
一字一句合っているものではなく、ニュアンスでまとめてますが・・
水は、すべてを、つなげている。
川を流れ、海に注ぐ。
あるときは、雲になり、山や地に、雨や雪を降らす。
そうして、山に降った雨は、地を潤し、谷にもおよぶ。
そうした、自然の営みの、すべてをつないでいるのが、水なんだよ。
わたしは、この話を心地よくきき、
そして、あることに思い至りました。
今、世界は、「分断」されている。
仕事は、可能な限り
オンラインベースで行うよう
加速がすすみ、
仮に 学校にいけても、
友人たちと、マスクを介して話す。
国同士、自由に行き交うこともできず、
ひととひと同士のコミュニケーションもままならない。
そんなふうに、「見えて」います。
それでも
もし、
わたしたちの本質が
先ほどの写真のような
水(「わたし」)であるならば、
わたしたちは、
どこかで必ず、
つながっている。
かけがえのない一人ひとりが、
それぞれの個性や持ち味をいかし、
「いま」いる場所で
日々、そのもつ力を発揮していれば、
それはいつしか
大きな力となり、
大きな愛となり、
この世界を
この地球を
包みこむことができるのかもしれません。
今のこの状況の出口は
まだみえないけれど
あなたも、
わたしも、
天からさずかった、この、いのちに
天からあずかった、この、からだに
こころからの
「ありがとう」と
慈しみの愛をこめ、
いま、目の前のことを
こころをこめて、
からだを生かし、
ひとつひとつを
こなしていくことさえできれば、
たとえ、わたしたちが
表面上、分断されているように
見えたとしても
水がさまざまなかたちで
わたしたちの
世界を
地球を
包みこんでいるように
深い部分で
広い部分で
しっかりと、こころをひとつにし
つながっていくことができる。
いまのわたしは、そんな気がしています。
今日この記事で
お伝えしたのは、
わたしが 神社参拝時に
これやっぱりいいなー、心地いいわ、
と感じた「ひだりみぎ歩き」
そして
「水」に関連して ふと感じた、
からだと
ことばと
「わたし」に関する
ほんのささやかな、ひらめきです。
いまこそ
からだを生かし、
全身で風を感じ、よくうごこう。
いまこそ
ことばをかわしあい、
伝えたい思いを、
目の前の相手に、そっとさし出そう。
いまこそ
あふれる情報に惑わされず、
わたしのどまん中を、生きぬこう。
たいへん長くなりましたが、
ここまで、お読みくださり
ありがとうございました!!!
かけがえのない、
地球上のたったひとつの
大切な「いのち」であるあなたが、
そして、あなたの大切なひとが、
自分自身のもつ
そのみずみずしさを
いま、思い出し、
あなたらしさを味わいながら
あなたらしさを発揮しながら
今日もすこやかにお過ごしでありますように!
あなたとのご縁に、
こころからの感謝をこめて
Yuki
よい一日をお過ごしくださいねー!
Have a nice day !